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礁崎石地蔵(大榎地蔵) 

礁崎石地蔵(大榎地蔵)

この道は、手前が目黒・富岡から、右は吉野からの道である。今は狭いながら舗装されているが、この位置より左側が松丸の主街道(今の天神町)へ入るのである。
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松丸 天神町 藤井旅館 

松丸 天神町 藤井旅館

天神町は、幕末から大正初めにかけては、松丸の中央街であった。山口武七などの富豪もこの通りにあった。写真の藤井旅館は、代表的な旅館のひとつで、戦前から戦後にかけて続き、戦後も富山の薬屋などが定宿としていた。

松丸 東天満 

松丸 東天満

何か興業があったのであろう。のぼりがたっている。

松丸 東天満(大正後期) 

松丸 東天満(大正後期)

松丸天満宮から望む東天満地区風景

紺屋及び兵頭重太郎商店(大正後期) 

紺屋及び兵頭重太郎商店

この写真は松丸大火の前の店の様子を写したものであり、酒・ビール・雑貨等を売っていたことがわかる。高知県の県境を越えて公交易もしていた。なお松丸のこの時の大火は紺屋が原因であったが、大正末郵便局なども含めてこの周辺は消失した。

竹葉酒店 

竹葉酒店

現在は建物は取り壊され、伊予銀行支店長社宅となっている。

醤油看板 

醤油看板

幕末より竹葉家に伝わるもの。この看板にはケヤキ材で「醤油・竹葉本店」と刻んである。竹葉家自体が享保年間より伝わる老舗で、毎日新聞が刊行した「日本の店構え」にも全国の代表的な店構えの一つとして紹介されている。現在、松野町が保管している。

竹葉醸造店(醤油)(昭和初期) 

竹葉醸造店(醤油)(昭和初期)

今、原料の大豆をはこんできたところであろう。馬の首にかけてあるかざり、暑そうな馬ひきの麦わら帽と、腰にかけた手ぬぐい。活気あふれたようすがうかがわれる。

梅竹醤油醸造場(竹葉) 

梅竹醤油醸造場(竹葉)

左側に醸造場、家の両側に蔵がある。その製品は「梅竹醤油」として町内はもとより、鬼北・高知県北幡地を主たる消費地域とし、一部は中村市や高知市まで売られて各家庭から愛用されていた。しかし戦時下に統制がすすみ原料が制限されるに及び急速に衰えていった。

水野病院 

水野病院

伊予銀行松丸支店 

伊予銀行松丸支店

もと大洲銀行松丸出張所であったが合併により伊予銀行となる。

松丸郵便局 現 矢野和泉氏宅(昭和元年頃) 

松丸郵便局 現 矢野和泉氏宅(昭和元年頃)

(昭和元年頃)この周辺は、松丸の中心街であるが、左側は、岡藤子氏宅である。昭和初年の大火のあと、周辺の一部は様相がかわった。

芝悌吉邸前の祝賀風景(大正4年) 

芝悌吉邸前の祝賀風景

大正4年の天皇即位の御大典を寿ぐ祝賀行事である。新しい時代への喜びが溢れている。この頃の松丸の繁栄は正に絶頂期にあった。

旧岡忠商店 

旧岡忠商店

松丸街道 

松丸街道

かつて松丸の中心として栄えた松丸街道、左は岡清商店、右は岡忠商店。

豪商が並ぶ通り(昭和16年) 

豪商が並ぶ通り(昭和16年)

この通りは町の西側であるが、手前両面の店は多面的に商工業を行い高知県西部とも交易した豪商である。写真右手前に現在の「芝不器男記念館」がある。行き交う人々にも活気がある。

正木正光酒造場 

正木正光酒造場

辛口の本醸造及び純米酒「野武士」の名称で名高い醸造元である。

武田半七商店(昭和10年) 

武田半七商店(昭和10年)

(昭和10年代)こうじやの名で知られた古い店である。

正木本店酒造場 

正木本店酒造場

文久年間より続く旧家でその後酒造業としての歴史をもち、明治村の代表的な商工業者として県下に知られた。現在も酒造業として続いている。なおこの建物の本屋は安政年間に建てられたものである。

松丸新町通り1 

松丸新町通り1

このあたりは明治村時代のおもかげをもっとも残している所である。つきあたりに明治村病院が建っている。

松丸新町通り2 

松丸新町通り2

このあたりは明治村時代のおもかげをもっとも残している所である。写真手前には明治村役場があった。
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